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六斎市と市神社

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六斎市と市神社

六斎市は、江戸時代以前から行われている朝市で、毎月6と10のつく日と晦日に開催されます。また、市場の隣には、「市神社」があり、六斎市と深い関係があります。
平成14年8月の市場の一部移転を機に「市神社」参道に地元の農家が出店する「地場農産物ストリート」を特設し、地産地消運動を進めるとともに伝統朝市の魅力を高めています。

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■開設日時 毎月6、10、16、20、26日、晦日と8月13日、大晦日の午前中
■開設場所 朝日町通り
■内容 新鮮な季節の野菜や山菜のほか、魚類、苗木、衣類、名物のどらやきなど約100の露店が並びます。

六斎市の歴史、由来

今から500年ほど前に斐太地区の五日市、十日市のあたりで市が行われていました。これらの地区名は、定期的に市が行われていたことにちなんで名付けられているそうです。これらの集落は、当時、信州への道沿いにあり、鎌倉、室町時代に成立していたと考えられています。
その後、江戸時代以前に現在の新井市の中心である中町通りに市場が移され、月に6回の六斎市(六・十市)が始まった言われています。新井の中心部が定期市の場所になった理由として、頸南地方の中心地であり、交通の要地であったことや、宿場町としていろいろな負担をしていたたので、それを経済的に援助するため、市を開く権利を認めたと伝えられています。
また、当時の新井市は物流の拠点で、さまざまなものが集まっていました。正徳五年(1715年)の記録では、山間地からは大豆、小豆、麦、そば、たばこ、季節の山菜などが運び込まれたほか、平場の農村からは米が、高田からはお茶、魚類、小間物などが市場を賑わわせました。
昭和初期には、中町通りの両側が市場で、八百屋、魚屋、どらやき屋、おもちゃ屋などが並び、新井市全域から季節の野菜などを売ったり、買ったりする人でにぎわいました。中町通りの交通量が増加したことから昭和36年に、市場の位置は栄町から東雲町への通りになりましたが、平成14年8月からは、朝日町の中心市街地再開発事業などによって、一部移転し、現在の位置になっています。今でも新井頸南地域最大の市として、おおぜいの人で賑わっています。

市神社(歴史、由来、概要)

市神社の祠(ほこら)は、大阪の夷(えびす)神社からのもので、もともとは白山神社に祭られていましたが、白山神社から移動を求められ、大正2年には、祠の再建工事が行われ、市場(現在の中町通り)の中ほどに移転されました。以来、その横を流れる川は、「市神川」と呼ばれています。
大正6年には、中町通りの交通量増加のため、現在の参道の中ほどに移転。昭和15年にようやく現在の位置へ移され、盛大に移転祭が行われました。
ご神体は、大市比賣命(おおいちひめのみこと)と蛭児命(ひるこのみこと:えびす様・市場の商売繁盛、幸福招来の神様)が祭られていて、市場の繁栄とそれを取り巻く人たちの幸福が祈念されてきました。
現在では、ブランコや遊具などが境内に設置され、中心市街地の憩いの場として、多くの人に親しまれています。
[参考文献 「中町の昔と今」中町興新会刊行]

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