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東本願寺新井別院

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東本願寺新井別院

頸南地方の末門や門徒を支配統轄するために創設された別院は貞享2年(西暦1685年)の創設。境内には親鸞聖人ゆかりの恵信尼の御堂や新井出身の画家・森蘭斎の墓もあります。毎年11月には「おたや」が開かれ、賑わいをみせています。

由来

由来

江戸時代の半ばから、各地の寺院間で、信仰上の考え方である「教義」をめぐって、対立が起きました。新井の願生寺は、信仰上の対立から、東本願寺の宗派から除かれてしまい建物をはじめ、すべてのものを取り上げられてしまいました。
翌年(貞享2年(1685年))、16世一如上人は、新井頸南の東本願寺末寺や門徒を支配するため、その場所に東本願寺の掛所(本山の出先機関)を設置しました。これが、新井別院の始まりです。以後、明治9年には、新井別院と改称され、現在に至っています。

頸南地域最大の行事「報恩講」(おたや)

毎年、11月上旬に行われる「報恩講」は、新井掛所が開山してから始まった行事であり、本山東本願寺から1カ月早めて10月末から11月初旬に行われていたようです。
明治以降になると、新井地方の最大行事となり、みやげものや曲芸、活動写真の出店が沿道に出されるようになり、この地方の人たちにとっては収穫後の最大の娯楽になりました。現在でも、新井別院に続く中町、下町通りには、多くの露店が立ち並び、別院では、恵信尼堂の法要や戦没者追悼の法要がとり行われ、人々は沿道をにぎやかに行き交います。

みどころ

みどころ

  • 親鸞聖人の妻「恵信尼」を祀った「恵信尼公堂」
  • 新井出身の江戸時代末期の画家「森蘭斎」の墓
  • 樹齢500年以上の大銀杏
    (写真は、紅葉した大銀杏と冬囲いの別院)

交通

新井駅から徒歩約10分

【森蘭斎(もりらんさい)~新井が生んだ江戸の画人~】

森蘭斎は、江戸末期に活躍した新井出身の画家で、元文5(1740)年、中町の森田家に生まれました。20歳のころ、長崎へ遊学し、当時、清(しん)の花鳥画家の沈南蘋(しんなんぴん)の画風継承者能代繍江(くましろしゅうこう・1713~1772)に10余年師事しました。その後、一時帰郷しましたが、再び江戸に赴き、画道に専念。後に加賀藩前田家のお抱え絵師になったという伝承も生まれました。「蘭斎画譜」を出版し、画道を世に広めました。ほかに代表的な作品として「龍虎の図」「三国武人の図」が挙げられます。享和元(1801)年、江戸で62歳で没し、墓は後に東本願寺新井別院に移され、現在に至っています。

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