今から約1800年前の弥生時代の終わりに栄えていた斐太遺跡は、東日本最大級の高地性環壕集
落です。腐葉土が堆積しにくい土地がらで、当時の生活を伝える竪穴住居跡や環壕跡が埋まりきらずに浅い窪地になって肉眼で確認できる極めて希有な遺跡として、学史的にも有名です。全国的にも貴重な遺跡として、昭和52年に国の史跡に指定されました。さらに、近年の調査で、南側にも集落域が伸びていることが判明し、平成17年に追加指定を受け、現在の指定面積は、10万平方メートルを越える広大な面積となりました。
斐太遺跡は大きく分けて、百両山地区・上ノ平地区・矢代山A地区・矢代山B地区の4つの地区に分けられ、肉眼で確認できる竪穴住居跡だけでも130軒を数えます。当時の人口は300人~500人と試算され、上越地域の弥生時代の中核集落と考えられています。
また、住居跡を取り囲むように、コの字状あるいは平行してめぐらされている環壕跡の総延長は、約1kmにも及びます。幅は最も広いところで10mもあり、一部では、環濠が二重に掘られていることがわかっています。