移住・定住ホームUIターン者の声結婚を機に海外から移住。「家族を想う心」が広げる優しさの輪

UIターン者の声

結婚を機に海外から移住。「家族を想う心」が広げる優しさの輪

リンさん

プロフィール

リン.N

出身:フィリピン

UIターン前の居住地:フィリピン

現在の居住地:矢代地域

年齢:40代

仕事:パートタイム(食品製造)

経歴:販売員

移住年:2009年

 

フィリピンから妙高へ。距離と言語を越え、結婚。

妙高市で暮らし始めて14年になるリンさん。フィリピンから移住したきっかけは妙高市に住む旦那さんとの結婚でした。日本に用事で来ていたリンさんは旦那さんと出会い、フィリピンへ帰国後は手紙でのやりとり。互いに言語がわからない状態で、辞書を片手に日本語、ローマ字を混ぜながら手紙を送り合っていました。

妙高山の雪景色

▲リンさんの家の近くから見える妙高山

その後2年間想いを育み、結婚。リンさんは旦那さんの住む妙高市へ生活を移しました。

「妙高市はとてもいいところですね。ただ冬はとっても寒いです。それでも来たばかりの頃は、雪がうれしくて雪かきを手伝っていました。今では子どもがスキーをやるようになり、寒い中で応援することも多く、だいぶ慣れましたかね。」

妙高市に来てからの生活を振り返り、リンさんはそう話します。 さらに、車の運転免許を取るため、自動車学校にも通ったことを教えてくれました。

除雪車と妙高山

「日本の交通ルールや試験は難しくて苦労しました。」

今では通勤や子どもの送迎も自分で車を運転して行きます。それでもまだ冬の雪道の運転は怖いと言います。

「一度交差点でスリップしたことがあり、とても怖かったです。」

家族や地域の方が壊してくれた言語の壁

今ではすっかり日本語で意思疎通ができるリンさん。日本語はどのようにして覚えたのでしょうか。 日中仕事に出ている旦那さんに代わって、日常的に話し相手になっていたのはおじいちゃん(リンさんの義父)でした。 移住当初、車の免許を持っていなかったリンさんはおじいちゃんの車に乗せてもらい出かけることも多かったと言います。

「おじいちゃんとおばあちゃんの会話を聞いて、日常的に使う言葉を覚えていました。おじいちゃんには自動車学校への送り迎えもしてもらって、お話もたくさんしました。今は私がおじいちゃんの病院の送り迎えをしているんですよ。」

日本語教室あいうえおスクールの案内

また、地域の方に誘われ市内で活動する日本語教室「あいうえおスクール」にも通っていました。教室に通うことで、市内に住んでいる海外出身の方とのつながりもできたと言います。

「当時まだ小さかった娘も一緒に連れて行っていましたが、皆さんが温かく受け入れてくれて嬉しかったです。子どももバスに乗って出かけたり、みんなの前で歌を歌ったりと楽しく過ごさせてもらったのはいい思い出です。教室で仲良くなった友達とは、よくカラオケに行っていました。」

子どもの成長と共に広がった新たな輪

もうすぐ中学生になるお子さんは、現在スキークラブに入り、クロスカントリースキーに励んでいます。毎週のように大会や練習の送迎、応援に大忙しのリンさん。さらに地域のバレー部にも所属しているとのこと。子どもはもとより親同士のつながりも多くできたと言います。

また、子どもの成長に伴い始めたパートの仕事は今年で3年になります。職場は外国人のパートも多いため、日本語での指示が理解でき、仕事の経験もあるリンさんは頼りにされているそうです。

笑うリンさん

「ベトナムの方が多いんです。若い子たちは私のことを『お母さん』なんて呼ぶんですよ。でも『いいよいいよ、子どものように思っているから』って言って、みんな仲良くやっています。」

親しみやすく優しいリンさんは、日本人にも外国人にも慕われています。

「家族を大切に」母国の文化をベースに

日本の家族や社会にもすっかり馴染んでいるリンさん。

「フィリピンでは家族を一番大切にします。結婚前に夫がフィリピンに来たときは、親戚がみんな料理を持って集まってきてパーティーをしました。それが普通なんです。」

また日本に来て感じた文化の違いについても教えてくれました。

「日本人はあまり思いを言葉にしないですよね。恥ずかしいから言わないとか、そういう文化なんだということが今は分かりましたけど。例えばうちの夫は結婚記念日に何も言わないから、覚えてないのか言わないだけなのか初めはわからなくて。プレゼントをあげるとか何かするとかでなく『言葉にすること』をフィリピンでは大事にしていました。」

リンさんは家の外でも近所の方に会ったら声をかけるそう。

「日本語が間違っているかもしれないですけどね。」

そう付け加えるリンさん。例え完璧じゃなくても、思いを伝えようとする努力や周りの人と向き合う姿勢が、家族や地域に受け入れられる理由なのでしょう。

今は子どものやりたいことを応援したい

妙高市での生活にも慣れた今、やりたいことはあるかお聞きすると、少し悩んだ後、こう答えてくれました。

「今は子どものやりたいことを応援したいですね。中学生になってもスキーは続けると言っているので、その思いをサポートしたいです。」

その横では、92歳になるおじいちゃんが「もっと畑も使っていいぞ」と声をかけていました。リンさんは今年、空心菜(クウシンサイ)やレモングラス、十六ササゲなどのフィリピンの野菜を育てました。それらの野菜を使ったフィリピン料理もご家族に振る舞います。

「母国の料理を食べたいなと思ったときに、すぐに作って食べられるのはうれしいですね。」

話すリンさん

最後に妙高市へ移住してくる方へメッセージをいただきました。

「妙高市は寒いけど、住みやすいところです。友達もできて、とても楽しいですよ。妙高市へ移住する外国人の方には、これから友達ができるので大丈夫ですと伝えたいです。」

海外から移住する方はもちろん、結婚を機に移住する方は「生活に馴染めるだろうか」「友達はできるだろうか」と不安な思いで妙高市に引っ越してきます。今まで生活していた地域とは異なる文化や言語(方言含め)に戸惑うこともあるでしょう。そんなときに大事なのは、リンさんのように今まで大切にしていた暮らしの軸を守りつつ、新たな文化を知ろうとする姿勢なのかもしれません。

 

■海外から移住した方へのサポートはこちら

  • 日本語教室「あいうえおスクール」

外国の方で、全く話せない人から上級者までが対象。グループ学習の他、個人レッスン、交流会も開催している。

問い合わせ先

妙高市役所生涯学習課 0255-74-0044

妙高での生活に必要な情報をまとめた、日本語と英語の2言語表記のガイドブック。