移住・定住ホームUIターン者の声自然と人が線引きされない暮らし方を求めて。

UIターン者の声

自然と人が線引きされない暮らし方を求めて。

生井一広さん

生井 一広(なまい かずひろ)

出身地:埼玉県

移住前の居住地:埼玉県

現在の居住地:新井南部地域

年齢:40代

現在の仕事:自営業(農業)

経歴:会社員

移住した年:2006年

きっかけは妙高市にある専門学校への入学

生井一広さん

妙高市へ移住して今年で16年目になる生井一広さん。きっかけは妙高市にある国際自然環境アウトドア専門学校への入学だったと言います。

「移住前は東京で造園の施工管理をしている会社で働いていました。職業柄、植物には囲まれていましたが、私が扱っていたものは人が植えたものがほとんど。今ある環境で勝手に生えてきた木のことを、自分は知らないなと思ったときがあったんです。」

都会で働く中で抱いたそんな違和感から、徐々に自然の中で働きたいという思いが芽生えた生井さん。転職を考えていたときに見つけたのが、国際自然環境アウトドア専門学校でした。

「働きながら自然について学ぶ方法もありますが、プレッシャーを感じながら勉強すると偏っちゃうかなと思って。当時は数字の圧力を感じながら働いていましたから。お金のことを考えずに、フラットに学べる環境として学校に通うほうがいいかなと入学を決めました。」

農村のお年寄りのかっこよさに魅せられて

専門学校では自然環境や生態学について学んでいました。実際に地域のフィールドで学ぶ授業も多かったそう。その中でも「ある授業」がとても心に残っていると言います。

「上越市の中ノ俣という地域で、米作りを学ぶ授業がありました。そこで出会ったお年寄りたちがとてもかっこよかったんです。何がすごいって、生活に必要なことはなんでも自分の行動範囲で済ませることができるんです。」

生井さんの自家製ニンニク

▲生井さんが自給用に作っているにんにく

必要なものは買う生活をしてきた生井さんにとって、自分の食べるものを自ら作り、必要な道具を自ら作る、そんなお年寄りの生き方は衝撃であると共に憧れとなりました。 同時に学校では生態学や生物の多様性、里山とはどういうことなのかを様々な角度から学んでいました。その中で、自然を守るということはどういうことなのだろうと考えていたと言います。

人と自然が線引きされないような生き方

「勉強だけして自然を守ると言っているのは、人と自然が線引きされた状態だなと思ったんです。生物の多様性って人間もその一部のはず。だから自分がそういう生き方をしなければ、本当の意味で自然を守ることはできないんじゃないかなと気付いたんです。」

人と自然について考える中で出会った、田舎で暮らすお年寄りの生き方。それはまさに自然の一部としての暮らしに近いものだったのです。「自分自身もそのような暮らしの中に身を置きたい」という思いから、卒業後も妙高市に住もうと決めました。さらに、他の地域ではなく妙高市を選んだ理由を聞くと、こう答えてくれました。

「妙高市でそういう感覚にさせてもらったなという気持ちがあったし、地域の方たちの人柄がよかったですね。それで、ここにいたいなと思いました。できれば将来的に恩返しもしたいという気持ちもありました。」

いま住んでいる地域との出会いは、市役所から

生井さんが暮らす上小沢集落

▲生井さんが暮らす上小沢(かみこざわ)集落

妙高市に住むことを決めた生井さんが、まず初めにしたことは市役所への相談。

「当時は企画政策課の方が対応してくれました。田んぼもちょっとやりたいという話をしたら農林課にもつないでくれて、多方面から相談に乗ってもらいました。」

そのときに紹介してくれたのが、今住んでいる地域だと言います。生井さんが住んでいる水原地区は、当時「メダカの楽耕(がっこう)」という都会との交流事業を行っていました。そういう取り組みをしている地域だからこそ、移住者を受け入れてくれるのではないかと市役所職員が生井さんを連れて行ってくれたのです。

「卒業後は1年間、上越市の農家さんに研修に行くことを決めていました。その間、今住んでいる上小沢(かみこざわ)集落の公民館で荷物を預かってくれたんです。とてもありがたかったですね。」

山の田んぼで米を作る面白さ

地域に温かく受け入れてもらい、まずは農業の研修へ。1年後妙高市に戻ってきた生井さんは、地域の田んぼを借り米作りを始めました。農業を始めて数年経ったころ、市の農林課から誘われ補助金も活用。現在は5反(たん)4畝(せ)ほどの田んぼを管理しており、作付けしているのは4反ほどだそう。農業と一口に言っても、生井さんの耕作している田んぼは山地の棚田。

稲の花

▲取材時には、ちょうど稲の花が咲いていた。(8月中旬)

「天水田で湿田、基盤整備のされていない、いわゆる昔の山の田んぼです。 効率的なことは通用しません。一般的な現代農業の価値観で見れば駄目な田んぼでしょうね。でもここでは、自然と人が線引きされないような米作りができそうだと思い、作り続けています。無農薬、無化学肥料、ほとんどが手作業で自然や生き物を感じながら育てています。」

生井さんが見ているのは、単なる米作りではなく、周りの生態系も含めた自然と人間のあり方なのでしょう。

冬は出稼ぎ、除雪へ

冬の生井さんの家

▲生井さんの家の周りも冬は雪に覆われる(画像提供:生井一広)

稲刈りが終わった後、2ヶ月もすれば雪が降り始める妙高市。雪の期間は農業はできなくなります。その間、生井さんは都市部に出稼ぎに行っていました。移住前にやっていた造園関係の仕事をしていたそう。

「単身のときは1月くらいから出稼ぎに行っていたんですが、大雪の年にだいぶ家を壊してしまったんです。その後は結婚したこともあり、大体2月の真ん中くらいまで妙高市にいてそれから出稼ぎに行っていました。そこで除雪をしておけば、あとは家を空けても大丈夫だろうと思って。子どもが生まれてからは出稼ぎはやめて、妙高市で除雪の仕事をしています。」

上小沢集落の冬

▲冬の雪かきは家族みんなの仕事(画像提供:生井一広)

仕事に加えて、家でも除雪。そんな冬の暮らしは大変ではないのでしょうか。生井さんの暮らす地域は、妙高市の中でも特に雪が多いところ。毎年3mほどの雪壁ができます。そんな中、移住当初は除雪機を持っていなかったので、手作業で除雪をしていたと言います。

「冬1ヶ月半くらいは家にいて勤めてなかったので、運動だと思ってやっていました。雪は今のところ嫌じゃないですね。実際に降ってるときは嫌だなって思うけど、反対にすごい降ったなって感動することもあります。いいもの見せてもらったなって感じですね。」

手をかけて愛着のある家に

作り直した屋根

▲作り直した屋根

生井さんが暮らす家は元は茅葺屋根の古民家。都会の人が「田舎暮らし」と言ってイメージするような古民家を求めていたものの、手をかけないと暮らせない状態だったと言います。

「当時は茅葺がそのままで雨漏りをしている部分もありました。部分的に腐っているところもあり、まず初めに屋根屋さんを紹介してもらって一緒に直しました。床も全て使える状態ではありませんでした。当時は台所にベッドを置いて一部屋だけで生活していたんですよ。そのときは単身だったので、暮らすには十分でしたけど。」

それから少しずつ修繕を重ねて、いまの生井さんちの姿になりました。屋根も床も、大工さんや仲間と一緒に学びながら、手を動かして作ってきた家。

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できるだけ廃材を使った床。足りない部分には新しい木材を。それでも足りない部分は畳敷きに。必要に駆られて貼った床は、また自分のイメージ通りに貼り直す予定。こだわりの部分はあるかと聞くと、特にないと答える生井さんですが、一つひとつ説明する表情からは家に対する愛情がにじみ出ていました。

考えさせられる毎日が充実している

農業のこと、雪のこと、家のこと。表面的に聞いていると大変だなと感じる暮らしですが、生井さんは充実していると話します。

「面白いですよ。農業も雪の生活も、家のこともずっとなにかを考えているわけでしょ。それが充実感をもたらしてくれています。やらされているわけでもないから。いい毎日です。」

常になにかを考えているとはどういうことなのでしょう。生井さんにとって、そのなにかは自分の暮らしのほんの近くの範囲で起こることでした。

直しながら暮らす生井さんの家

「以前は世間とか世界を見て、自分の立ち位置を決めているところがありました。今は自分の暮らしている地域という、すごく狭い範囲で考えていますね。それが逆に充実しているのかもしれない。今は、ここは雪が降ったら壊れるのかな、壊れたらこうしようかな、壊れる前にこうした方がいいかなって、そういう生活のことばかり考えています。あとは自分がこうあったらいいなってことばかり。」

身近な生活と自然のことに思考を巡らす毎日。それは生井さんが思い描いていた「人と自然が線引きしないような暮らし方」につながるもののような気がします。

自ら直した古民家を拠点に。ここでの暮らしを発信したい。

お客さんを呼びたいという縁側

そんな生井さんに、少し先の未来について今考えていることを聞いてみました。

「まずは家を自分のイメージ通りに直したいですね。そしてお客さんを呼びたいと思っています。自分がここに移住して培ったものを提供するつもりです。お米や甘酒、もちをついてもいいですし、都会ではできない非日常を提供して、この山奥の農村の魅力を発信していきたいです。そういう思いはずっとあったんですが、自分自身が提供できるものがなにもなかったんです。かっこいいのは地域のお年寄りであって、自分はまだ仲介する立場だと思っていました。これからは、徐々に提供してもいいかなと思っています。」

縁側から望む田んぼ

これから直すという縁側に面した広間からは、生井さんが育てる田んぼが見下ろせます。手直しして住み継がれてきた古民家の手触り、ゆらゆら揺れる稲穂、虫たちの声、お米の炊けた香り、この縁側に座れば人と自然が線引きされないあり方について、五感を通して感じられることでしょう。お客さんを迎えられるときが来るのが楽しみです。

最後に自身の暮らしで大事にしていることをお聞きすると、シンプルにこう答えてくれました。

「自分でお米を作って、そのお米を食べることですね。」

生井一広さん

移住を考えるとき、移住生活の中で迷ったとき、大事にしている軸があるとその先の道しるべになります。 生井さんにとっては「自分でお米を作って、そのお米を食べる」ということが、16年間の移住生活の道しるべになっているのでしょう。大事なことは、自分の一番身近なところにあるのかもしれません。

 

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