プロフィール
長尾 拓哉(ながお たくや)
出身:和歌山県
UIターン前の居住地:和歌山県
現在の居住地:妙高地域
年齢:40代
仕事:会社員(農業)
経歴:公務員
移住年:2019年
妙高市に移住して5年目になる長尾拓哉さん。様々な角度から農業に携わってきた中で、今の暮らしに辿り着きました。働き方や場所、住まいも変化しながら、自分に合った形を模索し続けてきた長尾さんに、移住までの経緯や移住後の生活についてお話を伺いました。
農業に関心を持つきっかけは日本文化から
和歌山県和歌山市出身の長尾さんは、会社員のご両親の元で育ち、農業と関わりのない人生を送ってきたと言います。そんな長尾さんが農業に目を向けたのは、高校卒業後の進学を考え始めたとき。
「やりたいことがないのに進学するのはどうなんだろうって思ったんです。そこで初めてやりたいことに向き合うことになり、いろいろ考えているうちに興味を持ったのが日本の文化でした。調べていくと、日本の伝統的な行事って、米作りと関わる部分が多いんですよね。そこからお米ってどんなふうに作っているんだろうという興味が湧いて、米作りを学んでみたいと思ったんです。」
農業に興味を持った理由は、もう一つ。
「当時、世間は環境問題で賑わっていたんですよね。資源の無駄遣い、石油の枯渇などが問題になっていて、私も温暖化とか気候変動に関して興味がありました。そういう点からも、農業を学ぶことが生活を見直していくきっかけになるかなと思ったんです。」
飛び込んだ農業の世界での葛藤
新潟に来るきっかけは、新潟県にいる親戚の紹介で米農家さんを紹介してもらえたこと。高校卒業後はすぐにその米農家さんで働くことになりました。ただ、その米農家さんは長尾さんがそのまま農家になることを勧めなかったと言います。
「社会経験が大事ということで、新潟市にある農業大学校(注1)を紹介してくれたんです。2年ほど働いた後、農業大学校に入学し、寮生活を送りながら勉強を始めました。」
ただ、入学したはいいものの、やはり卒業後の進路に思い悩むことになります。当時は実家が農家で継業する人が大多数、就職するならJAというのが一般的でした。長尾さんは、農業に関わる仕事はしたいけれど、もっと違うアプローチはないかと考えていました。そして辿り着いたのが農政の分野でした。試験に合格し、卒業を待たずに北陸農政局に入局。7年間北陸で働いた後、水産庁へ異動。3年間は東京で働く日々を送りました。
「農政局では作況指数や生産調査、水産庁では新規就農者事業や公益法人の管理、外国人技能実習などを担当していました。当初はお金を貯めて辞めるつもりでいたのですが、30代半ばで体を壊してしまって。外に出るのが辛くて、1kmも歩けないくらい弱っていたんです。その後仕事を辞め、リハビリも兼ねて農業をやりたいと向かったのが妙高市だったんです。」
現場に戻って感じた農業の面白さ
妙高市を選んだのは、農業大学校時代の友人が住んでいたから。その友人の実家は酪農を営んでいて、学生時代によく泊まりに行っては、一緒にお酒を飲んだり、牛の世話をしていたそう。
「友人がクラインガルテン妙高(注2)を紹介してくれたんです。そこで地元の農家さんから農地と機械を借りて、一人で農業を始めました。地元の方のご厚意で農業を教えてもらい、気付いたら広大な土地と作物を管理することになって。初めてやる作業ばかりで、毎日仕事ばかりしていました。」
1年間自分で農業をやってみた結果、とても苦労したと言う長尾さん。初めての土地で、知り合いも少ないなか、全てを一人で行うのは体力的にも精神的にも厳しかったと言います。また、人の土地と機械を借りて仕事をするのは迷惑もかけるし、自分のペースで作業することができないという葛藤があったそう。
「その経験から、すぐに生計を立てていくのは無理だと感じ、準備が整うまでは勤めで農業しようと思いました。そのときにちょうど今働いている農業の会社の求人が出ていたんです。その会社の作った野菜を集荷の仕事で見たことがあって、すごくいいナスだなって印象に残っていて。野菜作りは人柄だって言う人がいるんですけど、仕事に対する姿勢がきっちりしていると、いいものができるなという感覚はあったので、いい会社なんだろうなと思っていました。」
会社で働き始めて気付いたこともありました。
「会社に勤めてみて、農業に真剣に取り組む若い世代が多いことも驚きましたが、会社としても若い世代の意見を取り入れて、より良くしていこうとする体制作りを行っているんです。そういった環境で働けるのは、とても刺激になりましたね。」
自営での農業、会社勤めでの農業、それぞれの魅力や葛藤を経験してなお、長尾さんはやはり農業を続けていきたいと話します。
「やっぱり面白かったんですよ。作物を育てるということが。すごく難しいんですけどね。農業を教えてくれた方が、この時期には何をしたらいいとか、どういう理屈でそうなっているのかを理論的に教えてくれる方だったので、その影響も大きいかなと思います。」
条件がいい場所はいくらでもある。決め手は「人とのつながり」
現在は市内に一軒家を購入し、裏の畑で自家用の野菜を作って楽しんでいる長尾さん。妙高の魅力を伺うと、こう答えてくれました。
「条件のいい場所はいくらでもあります。私が妙高を選んだのは、人のつながりがあったからです。自分の人生を振り返ると、関わりを持った場所って一つの選択肢になるんですよ。」
長尾さんにとっては、農業大学校で出会った友人とのつながりが移住の大きなきっかけになりました。ただ、長尾さんがその後も妙高に根付いているのには、他にも理由があります。
「地域の方たちの根っこには助け合い精神が行き渡っているんです。以前、屋根の雪下ろしをしていたとき、『隣のうちに声かけたか?』『何かあったら言ってね』と近所の皆さんが代わるがわる声をかけてくれました。何かあったときには助け合わなければ仕方ない環境で生きてきた方たちなので、地域のつながりが強いんだろうなと感じました。そういった部分は都会では感じられない地域の魅力だと思います。」
同時に移住当初は地域のルールや言われたことが理解できず、怒られたこともあると言います。
「道路を汚したままだったり、水路に草を詰まらせていたのを地域の方が掃除してくれていたこともありました。きれいな地域・環境は一方的に享受しているだけじゃだめなんですよね。その地域の人の努力によって維持されているものなので、自分も地域の一員になって、きれいにする努力をしなければいけないなと。自分にとってストレスフリーな環境を守るためには、地域としっかり向き合うことが大切なのだと思います。」
いつか動き出すときのために、選択肢を増やすこと
最後に、これから移住を考えている方へメッセージをいただきました。
「まず興味がある地域があったら、行ってみればいいと思います。現地に行くことでつながりもできますし、その後の人生で自分が何かを始めたいと思ったとき、どの土地でやろうかという選択肢の一つにはなりますよ。移住にあたっては自治体の支援策も比べますが、一度関わりを持った地域の安心感はとても大きいんじゃないでしょうか。」
「農業をやりたい」という真っ直ぐな思いを軸に、人とのつながりを繋いで安心できる環境を自ら作っていった長尾さん。
今はまだやりたいことが思い描けない人も、まずは動いてみることで人生の選択肢が増えていくのではないでしょうか。
(注1)農業を学ぶ2年制の県内の専修(専門)学校。詳しくは以下のURLから。
(注2)ラウベ付き滞在型貸し農園。市外在住の方が二拠点生活や田舎暮らしを体験することができる。通年利用のほか、1か月の短期利用も可能。詳しくは以下のURLから。
※この記事は2023年8月に取材したものです。
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