プロフィール
吉田 健太郎(よしだ けんたろう)
出身:兵庫県
UIターン前の居住地:神奈川県
現在の居住地:妙高高原地域
年齢:20代
仕事:民泊運営
経歴:会社員(ITコンサルタント)
移住年:2022年
移住するきっかけは人それぞれ。「田舎暮らしがしたい」「趣味を楽しみたい」と目的を持って移住する人がいる一方で、自分の心が思うままに行動しているうちに地方へ導かれた人もいます。
今回ご紹介する吉田健太郎さんもその一人。現在は妙高高原地域で民泊施設「サウナ基地」を運営しています。神奈川県で会社員として働いていた吉田さんが地方へ向かうきっかけとは何だったのでしょうか。妙高市に辿り着くまでの経緯や、移住後の暮らしについてお話を伺いました。
コロナ禍でスタートした社会人生活。癒してくれたのはサウナだった。
大学卒業後、東京のベンチャー企業に就職した吉田さん。希望を持ってスタートするはずだった新卒1年目は、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う緊急事態宣言と共に始まりました。入ったばかりの会社には出勤できなくなり、右も左もわからないままのリモートワーク。社会人生活のスタートという環境変化に加え、緊急事態宣言で自由を制限される日々。吉田さんの心身は徐々に疲弊していったと言います。
「その辛かった時期に、自分が求めていたのがサウナでした。サウナ自体は大学生の頃にはまっていたのですが、人生を変えるほどのものではありませんでした。このときに、僕にとって大事なリラックス方法だったんだと気付いたんです。サウナは『僕の人生に欠かせないもの』という認識が生まれました。」
同時に、今の仕事をずっと続けていくことに違和感を感じ始めていた吉田さん。それなら、サウナが有名なところで修行しようと思い立ちました。その修行先が長野県信濃町(しなのまち)にある「The Sauna」でした。運営する「株式会社LAMP」(以下、LAMP)は、信濃町で宿泊施設やレストラン、アウトドア事業などを展開している会社です。吉田さんもサウナだけではなく、宿泊や清掃など様々な業務に携わりました。
「僕自身は宿泊業や清掃業にも魅力を感じ始めていました。当初はサウナの建設にも関心があったのですが、自分が事業としてやっていくのは難しいだろうなという思いもあって。他のサウナ施設との差別化を考えたときに、宿と組み合わせるのは1つの方法なのかなと現場を経験したからこそ思ったんです。」
人とのつながりが、吉田さんを妙高市へ導く
▲サウナ基地のリビング(画像提供:吉田健太郎)
LAMPで働き始めて数ヶ月経った頃、次のステップを考え始めた吉田さんは、YouTubeで発信をし、サウナを建設する場所を探し始めます。条件は「空き家のあるところ」「川がきれいなところ」。日本海側は雪が降るので、水が豊富できれいという点では絶好の場所でした。しかし空き家探しはそう簡単には進みませんでした。そんなとき、LAMPで一緒に働いていた方から「うちを使ってやってみない?」と声をかけられます。その家があった場所が新潟県妙高市でした。それから吉田さんは、その家に居候しながら改修を進め、2022年に「サウナ基地」をオープンします。
サウナ基地への想いと今後
▲古民家の木を利用したフィンランド式サウナ
「改修は素人の僕と友人で考えて、大工さんに相談して施工してもらいました。『基地感』を出したくて、サウナの場所もちょっと変わったところに作ったんです。」
サウナ基地の外観は、一見普通の家。玄関を開けると、白い壁を基調とした木のぬくもりを感じるリビングが広がります。そんなアットホームな空間から、一歩サウナへの扉を開けるとそこはまるで秘密基地。一体どこにサウナがあるのだろうと冒険心を掻き立てられます。
「実はもう少し基地感を出したくて、一部リフォームを考えているんですよ。」
そう話す吉田さんはとても楽しそうでした。
▲サウナへ降りる階段。
サウナ基地のある妙高高原地域はスキー場が近く、もともと観光客の往来がある場所。さらに雪が降るというだけでも、都会の人にとっては非日常体験になります。
「雪とサウナはとても相性がいいんです。寒いからこそサウナで温まると気持ちいいですし、スキーをしない人でも楽しめます。」
サウナ基地のリビングには大きなプロジェクターやボードゲームなども用意。仲間内で来て楽しめるポイントがたくさんあります。
「実は今後もう一棟作りたいと思っています。茅葺屋根の家の中にサウナが作りたくて。日本の文化をきちんと残しつつ、その価値を守っていくだけの利益を生むような建物にしたいと思っています。そうじゃないと茅葺屋根や古民家の改修は、ままならないですよね。日本の文化を後世に残せるとしたら、そういった形なのかなと僕なりに考えています。」
吉田さんの夢はまだまだ続きます。
心が求める、自然の中での暮らし
現在ご自身も居住しながらサウナ基地の運営をしている吉田さん。妙高高原地域に暮らして感じる喜びを教えてくれました。
「僕は出身が兵庫県伊丹市なんです。家の裏からは六甲山が見えるような場所でした。幼少期からそういった自然の見える環境が好きで、東京での暮らしは好きになれなかったんです。信濃町に住んでいたときも、景色はきれいだったのですが、今住んでいる家から見える妙高山の雪景色にはかないません。『ただの雪景色か』と言われればそうなのですが、僕にとってはすごく気持ち良くて最高ですね。」
▲基地内に飾られているドライフラワーは、この地域で採取したもの
喜びと同時に、驚いたこともあると言います。
「家の裏に蛍が出るんですよ。僕、人生で初めて見たんです。『まさかいるなんて』と感動しました。そういう自然のある環境に囲まれて生きている方が、僕には合っているなと感じますね。」
地域の方への感謝を形に
妙高市に引っ越してまだ1年にも満たない吉田さんですが、現在地域の委員を担当していると言います。その背景にある思いを語ってくれました。
「いつも地域の方が声をかけてくれて、野菜やお惣菜を持ってきてくれるんです。その気持ちがとても嬉しくて、感謝しています。それに僕がここで民泊をさせてもらっているのも、住民の方が地域の土台を築いてきたおかげだと思っているんです。それに対してお返しをしたいという気持ちがあっても、僕は野菜も育てていないし、サウナに入ってくださいとも言いづらい。それならば、地域の委員という形で貢献させていただければと思い立候補しました。」
地域の方とのつながりはオーナーさんと一緒に住んでいた期間に育まれたものということですが、民泊を始めるときにも吉田さん自身が一軒一軒挨拶に回ったと言います。そんな吉田さんの誠実さが、地域の方にも伝わっているのでしょう。
「初め、地域の人たちを名字で覚えていたんです。後で失敗したな~と思いました。この辺りは同じ名字の方がとても多くて、名字で覚えてはいけないんだと気付きました。」
そんな微笑ましいエピソードからも、地域の方の名前を一生懸命覚えようとする吉田さんの真摯な姿勢がうかがえます。
行動することで、世界は広がる
最後に移住を検討している方へメッセージをいただきました。
「僕が言うのもおこがましいのですが、自分の心が思うままに行動してみるのがいいのではないでしょうか。意外とやってみたら何とかなるので。『環境を変える』ことは一つのきっかけになると思います。」
そう語る吉田さんには大事にしていることが2つあります。それは「いつ人生が終わっても悔いがないように」そして「今生きていて幸せかどうか」。
「僕自身、東京の暮らしは肌に合わず、息が切れそうでした。環境に幸せを感じられること、やりたいことが出来ること、仕事にやりがいを感じられるということが、最終的に移住を決めた軸になっているのだろうと思います。」
頭の中でいくらイメージしても「行動する」には勇気が必要です。しかし、発想を変えてまず行動することで、吉田さんのように新しい世界が広がるのかもしれません。
あなたも一歩踏み出してみませんか。妙高市に興味のある方は、ぜひ一度遊びに来てはいかがでしょう。
- 吉田さんが運営する民泊施設
- 妙高市への移住に興味のある方はぜひご利用ください。