■妙高には、国内第1号のリフトがあった
正確には、国内初の運輸省認定リフト。
昭和25(1950)年10月に、国内で初めて運輸省(現国土交通省)の認定したリフトが、赤倉温泉中央スキー場及び池の平温泉カヤバスキー場に架設されました。
これまでのスキー場にはリフトがなく、スキーヤーの技術も熟練していなかったため、妙高温泉や池の平温泉あるいは赤倉温泉の旅館街近くで短いスロープを利用したスキー場が主流でした。ところが、リフトの出現により、長い急な斜面を歩いて登る苦労をしないでスキーを楽しむことができるようになり、小学生から高齢者まで年齢層も広がり、スキー人口は年々増加していきました。
現在、この第1号リフトは、上信越自動車道妙高SA内に展示されています。
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■リフトが縁結びをした
昭和31(1956)年6月、リフト会社に1通の手紙が届いたそうです。それによると、この年の2月に東京から赤倉へスキーに来て当時二人乗りだったリフトに搭乗した際に、一緒に乗った若い女性と話をするうちに意気投合し、東京へ帰ってからも交際を重ねて結婚に至った。というものでした。
このほほえましい手紙を読み、社員一同喜んで次のようなお祝いの手紙を返送したそうです。「あのリフトは鋼鉄線でできており、22ミリの太さのワイヤーロープが結んだ縁ですから一生切れません。どうぞ幸せに暮らしてください。今年の冬もお二人おそろいでぜひともお出かけください。幸せなご夫婦を無料で搭乗させていただきます」と。
リフトにたまたま乗り合わせた他人同士が会話を交わし、それが縁で結婚に至ったという心温まるエピソードです。
私たちがその二人です。または、両親、祖父母がその二人でした…というかたは、下記の問い合わせ先までご連絡ください。
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■妙高高原で初めてスキーを滑ったのは
遊びの一つとして、そろえた山竹を火であぶって先を曲げ、杖もなく滑るということはあったようですが、正式なスキーとなると話は変わります。
日本に体系的で正式なスキーを伝来したのは、オーストリアのレルヒ少佐とされています。少佐は、明治44(1911)年1月から高田の第58連隊の将校に、金谷山などでスキー指導を行いました。その後、最後の仕上げとして冬の妙高登山を計画し、その予行演習に兼俣山でスキーを滑りました。ということで、正式なスキーとして記録に残っているものでは、これが最も古いものです。
ちなみに、当時のスキーは一本杖でした。
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